陰暦正月十五日は、中國(guó)の重要な伝統(tǒng)的な祭日である。古書に、この一日を「上元」といい、その夜を「元夜」「元宵」と稱したとある。元宵節(jié)の名はこんにちまでずっと用いられている。この春節(jié)後の最初の満月の夜に、家々では身內(nèi)の者が団らんして、共に佳節(jié)を祝う。この夜に、燈篭を飾って見物する風(fēng)習(xí)があるので、この日を燈節(jié)(燈篭祭)ともいう。
元宵節(jié)の歴史は長(zhǎng)く、早くも戦國(guó)時(shí)代に、正月十五日に燈篭見物をしたり、お月見をする風(fēng)習(xí)があった。最初は太陽(yáng)神を祭るためで、當(dāng)時(shí)「東皇太一」あるいは「東君」と稱した。元宵節(jié)が民間の祭日になったのは漢の時(shí)代で、漢の恵帝劉盈の死後に呂后が帝位を奪った。呂后の死後、一心に漢朝を保とうとしていた周勃や陳平たちは、協(xié)力して呂の一族を一掃し、劉恒を皇帝にした。これが漢の文帝で、文帝は群臣の建議をいれて、難民を救済し、心をくだいて國(guó)を治めたため、漢帝國(guó)はふたたび強(qiáng)大になった。呂の一族を平らげたのが、ちょうど正月の十五日だったので、毎年この夜に、文帝はおしのびで宮廷からぬけだし、民といっしょに楽しんで記念とした。古代に夜を宵といい、正月を元月といったので、漢の文帝はこれにちなんで正月十五日を元宵節(jié)と名づけたのだそうだ。
「チャイナネット」2009年2月9日 |