盛大な閉幕式、豊富な中華料理、中國(guó)の人たちとの觸れ合いなど、様々な行事が行われた7日間の訪中だったが、一番印象深かったのは何かと數(shù)人の日本の高校生に聞いてみた。その答えはいずれもホームステイだった。
天津に著いた夜、博物館や熱帯植物園を見(jiàn)學(xué)した後、高校生たちは天津青年職業(yè)學(xué)院を訪れた。約200人の高校生のうち11人は天津青年職業(yè)學(xué)院の學(xué)生と同じ部屋に泊まり、そのほかの高校生は2人ずつ天津青年職業(yè)學(xué)院の教師の家に泊まった。
ホームステイの前の日本の高校生と中國(guó)の生徒
ホームステイの前の日本の高校生と中國(guó)の教師
ホームステイの歓迎式では、高校生と中國(guó)の教師や學(xué)生がそれぞれ番號(hào)を付け、自分の番號(hào)と合う高校生を探した。見(jiàn)つかると待ちかねたように話し始める。そして式が終わると、高校生たちは中國(guó)の教師や學(xué)生に付き添われ、それぞれの家に帰った。
日本の先生によると、ホームステイ先に行く前にバスの中では、生徒たちは不安な様子で、ホームステイ先の料理が口に合わないかもしれないと思い、スーパーで買った食べ物を食べてホームステイ先に行った生徒もいるという。
神戸龍谷高等學(xué)校の広田智美さんと鮫島和子さんは、天津青年職業(yè)學(xué)院の郝校長(zhǎng)の自宅にホームステイすることになった。家ではまずはギョーザを作った。鮫島和子さんはギョーザがうまく作れるたびに、郝校長(zhǎng)は「ワー」と言って一緒に喜び笑った。
郝校長(zhǎng)は日本語(yǔ)ができないが、「オッケー」や「グッド」と簡(jiǎn)単な英語(yǔ)を使い、自分の気持ちを表した。そして英語(yǔ)ができる娘さんを通して広田さんと鮫島さんに、「日本に行った時(shí)、少しも日本語(yǔ)が話せない私が、日本人の家に2日も泊まりました。だから言葉は問(wèn)題ではない。交流したい気持ちさえあればきちんと通じる」と、自分が日本に行った時(shí)に経験したホームステイの様子を紹介した。
広田さん、鮫島さんと郝校長(zhǎng)一家
その経験から郝校長(zhǎng)は、ある程度、日本の習(xí)慣を知っているようだった。料理を用意する時(shí)には、「日本人は料理を殘さないという習(xí)慣があるし、あっさりした味が好きだと思い、ギョーザのほかに4つの和え物を用意した」という。また料理を勧めてはいけないと思い、「どんどん食べてください」と2人の高校生に伝えるだけで、自分のおはしを使って広田さんと鮫島さんのお皿に料理を運(yùn)ばなかった。
郝校長(zhǎng)の娘さんの郝平さんにとって最も印象深かったことがある。それは日本の高校生は英語(yǔ)が上手だということだ。鮫島和子さんはカナダに1年留學(xué)したことがあるため、流暢な英語(yǔ)で積極的に話しかけた。郝平さんは大學(xué)4年で、韓國(guó)語(yǔ)を?qū)煿イ筏皮い毪⒄Z(yǔ)も上手で、「英語(yǔ)できちんと通じるため何も隔たりを感じなかった」と話す。
郝平さんは倖田未來(lái)の歌をネットで流すと、鮫島さんはすぐに興奮した様子でその歌を一緒に歌った。広田さんは戸棚に飾っている人形を見(jiàn)て、「これは何ですか。今日博物館で見(jiàn)たような気がする」とたずねると郝校長(zhǎng)は、「天津の民間蕓術(shù)で泥人張と言います」と紹介した。
夜は2人の高校生にとって新鮮な體験をした。それはマッサージ機(jī)だ。「本を読んで肩や首が疲れたらこれを使います。體験してみますか」と郝校長(zhǎng)が言い、広田さんはすぐ橫になって體験してみた。「わあ、気持ちいい」と言いながら、15分のコースを體験した。
翌日の朝、高校生を迎えに來(lái)る車が來(lái)た。鮫島さんは英語(yǔ)で郝校長(zhǎng)一家に手紙を手渡した。「お母さん、お父さん、短かったですが、本當(dāng)に楽しかったです。ホームステイをするチャンスがあってラッキーでした。中國(guó)人の両親とお姉さんができてうれしかったです。來(lái)年また中國(guó)に來(lái)ます。その時(shí)は中國(guó)語(yǔ)で話せるようにがんばります」
「チャイナネット」2008年12月26日