作者:遠志 香港にて
香港浸會大學伝統醫薬標本センターで作者(右一)と記念寫真に収まる奧窪夫妻(2006年春)
10日前、私はショッキングEメールを受け取った。Eメールは日本人友人の奧窪夫妻からのものであり、內容は奧窪夫人が肝臓ガンの末期と診斷され、醫師によると彼女の命は月末まで維持することも難しい、というものであった。しかし、私を感動させたのは、そのEメールは別にこの悲しむべきことを私に知らせるためではなく、奧窪夫人のたっての願い――10萬ドルを寄付して中國伝統醫薬奨學金を設け、英才を育成し、中國の伝統醫薬事業の発展を促すというものであった。私は奧窪夫人がいまわの際に考えていたのはなんとその深い友情を中國に殘し、中國の伝統醫薬事業に力添えすることなどで、深く感動した。
中國の伝統醫薬を日本市場に導入
私は最初は1988年に北京で奧窪氏と知り合いとなり、計算して見ると、まるまる20年間となった。奧窪氏は事業に非常に熱心な方である。前世紀の60年代に中國の伝統醫薬が日本に輸出された當初、日本の人たちは中國の伝統醫薬の製品薬についてはほとんど何も知らなかった。奧窪氏は會社のセールスマンとして、まず腳気や皮膚のしらくものを治す華佗膏を手始めに、小さなカバンをひっさげて一軒一軒お客様を訪ね、中國の伝統醫薬の製品薬をお薦めし、紹介することに努めた。
根気よく仕事に取り組んだおかげで、華佗膏、六味地黃丸、補中益気丸、舒筋丸、至寶三鞭丸、冠元顆粒など一つ一つの中國の伝統醫薬のブランド薬品を次々と日本の市場に導入した。これらすべてにはいずれも奧窪氏の心血が注がれており、氏は中國の伝統醫薬の日本市場進出の面でパイオニアの1人である。
|