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まほらまの南京生活④數字にかかわる日中感覚の違い |
発信時間: 2009-02-27 | チャイナネット |
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南京大學日本語學部専家 斎藤文男
◇數字にかかわる日中感覚の違い◇ 中國と日本で異なることはいろいろあるが、數字に対する感覚が違うので戸惑うことが多い。昨年11月、南京市で「2008年南京國際ジャズ?世界音楽會」(主催?江蘇省文化館、南京東南大學)があった。切符が2枚手に入ったので聴きに行った。座席番號は26と28である。連番ではないが、席が隣りになっていることはこれまでの體験から分かっていた。しかし、実際に席に著くまで多少の不安はあった。26と28がなぜ連番になるのかが感覚的に理解できないからである。座席を奇數と偶數に分け、入り口も奇數口、偶數口と別々になっていた。 なぜ、奇數、偶數に分けるのか。中國人の友人に訊いてみた。 「2種類に分ければ、奇數か偶數かですぐに見分けられるし、多くの人が同時に入場するときも混み合わないので便利だ」との説明だ。子供の時から映畫館や劇場の座席がこのように分かれているので、とくに違和感はないという。 しかし、一般の日本人にとって奇數、偶數という観念は、數學の授業でもない限り日常生活ではなじみが薄い。順番に1から50まで、51から100までなどと分けた方がすっきりする。これは數に対する文化の違いで理屈ではないかもしれない。 音楽會は連続5日間、ドイツ、カナダ、南アフリカ、中國と4カ國の音楽家グループが參加した。私が行った日は、カナダと南アフリカの2グループの演奏だった。トランペット、サクソフォーン、ギター、ピアノ、ドラムそれにボーカルと軽快なメロディーを奏でていた。客席では中國の多くの若者たちがリズムに合わせて拍子を取りながら聴いていた。南京でもこのような音楽會が開かれ、中國の若い人たちがジャズ音楽を楽しむ光景は、30年ほど前の初訪中ではまったく考えられなかったことで、隔世の感ひとしおであった。 偶數の連番席だった「南京國際ジャズ?世界音楽會」 |
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