貴州省晴隆県「二十四道拐」盤山道路(6月24日撮影)
「抗戦の生命線」と呼ばれるビルマ公路と言うと、人々は次の有名な寫真を思い浮かべる。曲線の山道が険しい山を下り、24の急カーブを描く。中國を支援する物資を積んだトラックが走り、ダイナミックな光景だ。これは1943年に米國の従軍記者が撮影したもので、寫真の道路は、世界的に有名な「二十四道拐(24の急カーブ)」だ。ビルマ公路を通り中國に送られた物資は、ここを経由し重慶に入った。道が険しく輸送が困難なため、米國の同盟軍は改修工事を行い、工程兵を送った。兵士は現(xiàn)地の労働者と協(xié)力し道路を広げ、基礎(chǔ)を固め、防護(hù)壁などの施設(shè)を作り、重要物資を抗戦の前線に送り続けた。この道路の寫真はニュースで伝えられ、世界的に有名になった。しかしその具體的な位置を知っている人はほとんどおらず、雲(yún)南省や中國の外と誤解されていた。民間の抗戦史研究者、晴隆県撮影協(xié)會(huì)主席の陳亜林氏の協(xié)力により、我々は現(xiàn)在と過去の寫真から、當(dāng)時(shí)の抗戦の苦しさと「二十四道拐」の重要性を再確認(rèn)できる。
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」 2015年6月29日