チベット族
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チベットの主な住民である。言語(yǔ)は漢?チベット語(yǔ)系チベット?ビルマ語(yǔ)族チベット語(yǔ)支に屬し、ウェイズァン、カン、アムドの三つの方言區(qū)に分かれている。農(nóng)業(yè)と牧畜業(yè)を主とし、都市部の住民はおおかた手工業(yè)、工業(yè)、商業(yè)に従事している。チベット仏教を信仰する。服裝については、上半身は絹の長(zhǎng)袖シャツを著、男性はゆったりした長(zhǎng)い服を著るが、女性は袖なしの長(zhǎng)い服を著、腰に帯をしめる。既婚の女性は腰に虹の図案のある前掛けをかける。男女とも髪を編んで後ろに長(zhǎng)く垂らし、裝身具をつけるのが好きである。服裝は地區(qū)によって違いがある。チベット族の食物はズァンバ(裸麥または豌豆を熟するまで炒り、粉に引いてつくったもの)を主とし、飲み物は酥油茶(牛羊の乳を煮詰めてとった油を入れた茶)、ミルクティー、青稞酒(裸麥で作った酒)であり、牛や羊の肉をよく食べるが、奇蹄目動(dòng)物の肉を食べない。昔のチベット高原に居住した人は土葬を?qū)g行したが、現(xiàn)在のチベットでは、天葬、火葬、水葬が流行している。
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メンパ族
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チベット高原に居住している古い民族で、主にチベット自治區(qū)南部のメンユ地區(qū)に分布し、一部はメド、ニンチ、ツォナなどの県に分布している。言語(yǔ)は漢?チベット語(yǔ)系チベット?ビルマ語(yǔ)族メンパ語(yǔ)支に屬し、方言が複雑で、文字がなく、チベット語(yǔ)に精通する人が多く、チベット語(yǔ)が通用している。農(nóng)業(yè)を主としているが、牧畜業(yè)、林業(yè)、狩猟、手工業(yè)を兼営している。服裝は、男女ともにヤクの長(zhǎng)い毛で織った赤色の長(zhǎng)い服をまとい、てっぺんが褐色で、ツバが濃い黃色で、前の方が欠けている小さな帽子または黒いフェルト帽子をかぶる。婦人は腕輪、耳輪などの裝身具をつけ、男性はなたを腰に吊している。男女ともに酒と嗅ぎタバコが好きで、食べ物は米、トウモロコシ、蕎麥などを主としている。大多數(shù)の人はチベット仏教を信仰し、一部の地方では原始的な巫教を信仰する人もいる。葬式は水葬が多いが、土葬、天葬、火葬も行われている。
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ローバ族
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主にチベット自治區(qū)南東部のロユ地區(qū)に分布しており、マイリン、メド、ザユィ、リュンズェ、ナン県一帯に分散して居住する者もいる。ローバ語(yǔ)は漢?チベット語(yǔ)系チベット?ビルマ語(yǔ)族に屬し、文字がなく、基本的にチベット語(yǔ)を使っている。主に農(nóng)業(yè)を経営し、竹編みに長(zhǎng)じている。男性は羊毛で織った、長(zhǎng)さが腹部までのチョッキを著るのが好きで、熊の皮または藤の蔓でつくったつばのあるかぶと狀の帽子をかぶる。女性は上半身に襟が丸く、袖の細(xì)い短いシャツを著、下半身に膝頭よりちょっと長(zhǎng)いタイトスカートをはく。膝から足首までの部分は腳絆を巻く。食べ物はトウモロコシと鶏爪穀(チベット特産の穀物)を主とし、米と蕎麥も食べる。
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回族
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現(xiàn)在チベットに居住している回族の人は、たいてい清代に甘粛、陝西、青海、四川、雲(yún)南などの各地から移住してきた回族の子孫、中央アジア一帯から來(lái)た人も少數(shù)いる。主にラサ、シガズェ、チャムドなどの都市と町に分布している。ほとんどの人は商業(yè)、手工業(yè)及び屠殺業(yè)に従事している。チベット語(yǔ)を使っているが、漢語(yǔ)も使っており、宗教ではウルドゥ語(yǔ)、アラビア語(yǔ)を使っている。イスラム教を信仰し、ラサなどの各地區(qū)にモスクが建立されている。
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デン人
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俗は「デンバ」と稱され、中國(guó)國(guó)內(nèi)に1450人余りおり、チベット自治區(qū)ザユィ県の上ザユィ鎮(zhèn)と下ザユィ鎮(zhèn)の九つの村に分布している。漢?チベット語(yǔ)系チベット?ビルマ語(yǔ)族に屬する獨(dú)特の言語(yǔ)を使っているが、文字がない。服飾は非常に獨(dú)特で、婦人は一般に耳に銀製のラッパ形の飾り物をかけ、首に玉をつないでつくった串刺または銀製の首飾りをつける。男性は頭に黒い頭巾を巻き、長(zhǎng)さ50~60センチのなたを吊している。1950年代までは、デン人はヒマラヤ南麓の山奧の密林の中に住み、「雑草などを焼き払って耕作し」、「縄を結(jié)んで事を記録する」原始的な生活を送っていた。その後、政府が平坦な空き地にデン人のために住宅を建て、デン人は続々とそこに引っ越してきて、男性は野良仕事をし、女性は機(jī)を織る生活をするようになった。
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シャルバ人
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主にネパールと國(guó)境を接するザーム開(kāi)港付近の立新郷とティンギェ県ズェンタン區(qū)一帯に住んでおり、現(xiàn)在中國(guó)國(guó)內(nèi)に1200余人いる。「シャルバ」はチベット語(yǔ)で「東方の人」の意味である。獨(dú)自の言語(yǔ)はあるが、文字がなく、チベット語(yǔ)が通用している。シャルバ人は名前しかなく、名字がない。立新郷のシャルバ人は5つの種姓に分かれ、ズェンタン區(qū)のシャルバ人は2つの種姓に分かれており、同じな種姓の人は結(jié)婚できない。仏教を信仰し、立新郷とズェンタン區(qū)にそれぞれ寺院が一つある。現(xiàn)在は、主に農(nóng)業(yè)、牧畜業(yè)に従事し、食べ物はトウモロコシ、ジャガイモ、鶏爪谷、蕎麥、豆類を主としている。服裝については、男性は羊毛で織った、黒い縁飾りをつけてある白い半袖の上著を著、腰に30センチほどの曲がったなたを挿している。女性はヤクの長(zhǎng)い毛で織った黒い長(zhǎng)い服と各種の色の長(zhǎng)袖シャツをまとい、金または玉でつくった耳輪をつけるのが好きで、長(zhǎng)く伸びた髪を編んでたらし、それに赤い房をつけている。
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