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北京のバー街 |
発信時間: 2008-07-22 | チャイナネット |
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人気のバーが立ち並ぶ街?什剎海
什剎海は後海とも呼ばれ、北京市內の中心地帯に位し、南から北へ前海、後海と西海という三つの湖からなる。什剎海の南側には北海公園と中南海があり、北は第二環狀道路の北部分の徳勝門あたりと接する。數十年前、このあたりには積水潭というさらに大きい湖もあったが、時代の流れによってなくなってしまった。今は什剎海だけが殘され、北京の変化と発展を靜かに見守っている。 千年の歴史を持つ都市である北京では、かつての多くの栄枯盛衰はすでに歳月の中に消え去り、厚い歴史書にそれらすばらしい時代が記されているだけだ。後の人々に感じられ、觸れられる形で殘されたのは、レンガの破片や、かつては北京にあふれていたが、今日ではますます少なくなってきた胡同(橫丁)だけだ。北京に來た地方の人が北京の純粋な民風や方言を感じたいならば、胡同に行けばよい。什剎海一帯は現在の北京では胡同が最もよく保存された地區である。特に前門一帯で大規模な再開発が行われたため、北京の胡同を見たいならば、おそらく什剎海一帯より良いところはもう無いだろう。 什剎海周辺の胡同はほとんど鼓樓古建築保護地帯にある。ここは北京の重點保護胡同區域の一つではあるが、近年來やはり再開発の影響を少なからず受けている。鼓樓近くでは道の拡張のために一部の胡同は消え去り、筆者が三年前に撮影した胡同の一部はもう今日では見ることができない。 しかし、北京の歴史はこのような興亡の繰り返しの中で発展してきたのではなかっただろうか。古い文明を持つ都市は保存と発展の中でバランスをとらなければならない。町の記憶をとどめると同時に、現代の市民生活を満足させるインフラも整えなければならない。これは北京の市民と都市管理者が直面しているきわめて困難な任務だと言えよう。 任務は困難だが、北京にいると自然に美しい感じが湧いてくる。この感じは北京に來たことのない人、胡同をそぞろ歩いたことのない人には理解しがたいかもしれない。ちょっと一緒に什剎海を一周してみよう。 午後、北海北門でバスを降りる。北京の伝統的な人力三輪車に乗るのもいいだろう。車夫は純粋な北京語で什剎海あたりの胡同を紹介してくれる。だが、値段のかけあいが必要。一人でのんびり歩くのもいいものだ。西に向かって少し行って三座橋胡同に入り、古い目隠し壁を見ながらそぞろ歩くと前海の西街にでる。道の両側は古い胡同だ。さらに西へ行けば、柳蔭街に著く。ここには北京で最もよく保存された恭王府があり、一見の価値がある。この北京でも比類のない庭園は大金持ちの和珅(乾隆15年[1750]~嘉慶4年[1799])の邸宅だったが、咸豊(在位1851~1862)年間に恭親王の奕欣に譲られ、恭王府と名付けられた。それを見學してから、三座橋胡同に戻り、羊房胡同に沿って西海に來る。さらに橋を渡って後海の北側に行く。そこには宋慶齢の故居がある。さらに東へ行けば、望海樓、大蔵竜華寺、広化寺など園林と古建築が見える。これらの所を見學し終わったら、もう日が西の山に沈むころになる。この時間に、もしちょうど銀錠橋に著くと、一番運がよい。橋の上に佇み、西に向かって赤い日が西の山の後ろに落ちる光景を見ていると、幸せな気分が湧いてくるだろう。まるでこの什剎海を漂っているような感じだ。これが北京八景の一つ「銀錠観山(銀錠橋で山を見る)」である。ほどなく夜のとばりが降り、美しい街燈がともり、人出も多くなる。そうだ、什剎海の夜が始まったのだ。 十年前、北京の三里屯は次第に中國でも有名な酒場の街となったが、これは、近くにある大使館區の多くの外國人がその発展を大いに推し進めたといえよう。しかし、2003年から地元の若い人々は什剎海あたりのおしゃれな酒場を好むようになった。酒場は前海の西辺の荷花市場から始まり、その後次第に銀錠橋を越えて西海の南岸に広がっていった。こうして煙袋斜街は瞬く間に有名になり、現在の銀錠橋を中心とした湖面や周りの胡同へ発展していった。さらに鼓樓街を隔てた南鑼鼓巷あたりも呼びかけに答えるように酒場やコーヒー?ショップが発展し、北京の新しい酒場産業地區となったのだ。
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