林國本
中國対外文化交流協會、中國國家博物館、東京中國文化センターの企畫という形で上梓された「わが人生の中日友好交流――劉徳有所蔵アルバムより」が出版され、劉さんの車の運転手さんがわざわざ拙宅まで屆けてくれた。
私は劉徳有さんが青年時代勤務していた『人民中國』雑誌につづいて、國際情勢の発展の要請から、日本語版の時事政治週刊誌『北京週報』を創刊するプロジェクトにたずさわり、定年になるまで數十年一筋、劉さんのような翻訳者になることを目標として頑張ってきた。私は定年後の第二の人生もその道一筋で歩んでいるので、この寫真集は、中國の中國語?日本語翻訳界の奇才ともいえる人物の成長の軌跡を知る上でのまたとない、貴重な資料となるものである。淺學非才の私のような人間も、劉さんが歩んだ道を一応歩ませてもらってきたが、どうも個人的資質の欠如、方法論の拙さなどから、どう見ても劉さんのような「本因坊」の域に達することができず、いまだにうんうんと呻吟しつづけている。
若い頃、私は「蕓を盜む」ためにとでもいうか、いや、もっと禮儀正しく言えば「蕓を學び取る」ために、劉さんのお宅にお邪魔して、劉さんの本棚を見學したことがある。私はその人物の本棚をじっくり見れば、その人物の思考の構造が分かると考えていたからだ。また、劉さんと雑談している時でも、私はつねに語學と関連のある話題を切り出しては、劉さんの答えの中から思考の火花をつかみ取ろうとしてきた。ここ數十年、私は公的文書の日本語訳や最終チェックの仕事にたずさわってきたが、私はいつも劉さんなら、この言葉をどう処理するだろうなあ、と考えていた。
今回、この寫真集を手にして、私が謎としてきたものの一部が解けたような気がする。
劉さんが正確に翻訳し、雰囲気までつかみ取ることを得意としているその秘訣、そのコツはこの寫真集の中にひそんでいる、と言っても過言ではない。
まず、劉さんは中國のトップ層の通訳を擔當する中で、政策決定とか、戦略的思考に直接、しかも、くり返し接する機會に恵まれていたのだ。私はいつも、単に言語とか、語學に精通するだけでは「高級通訳者」にはなれない、政治、政策、戦略に精通してこそはじめてそれが可能となる、と語りつづけてきたが、この寫真集を見て、その定石と定跡の一部が分かったような気がする。つまり、高い見地に立たなければ、正確な通訳、翻訳は不可能なのである。
さらに、場數を踏むという面でも、時代が人物をつくるというように、劉さんは政治、経済、文化、要するにほとんどすべての分野で鍛えられているのである。
そして、もうひとつ、劉さんとの觸れ合いの中で私は言語に対するその類いまれな感受性を感じ取っている。劉さんの口から飛び出す日本語のダジャレは一級品と言っても過言ではない。
中國各地を旅していた頃に、中國の若い日本語學徒が劉さんの著書を愛読していることも知った。私は5萬人を超えると言われる中國の日本語學徒がこの寫真集を手にできることを願っている。淺學非才の私も、多くの分野ではムリだが、たとえニッチといわれる狹い分野でも、正確無比といわれる作品を生み出すため、頑張りつづけるつもりである。これが寫真集を見た際の初歩的な感想である。
なお、今月下旬、東京中國文化センターで劉さんの寫真展が催されることになっている。
「中國網日本語版(チャイナネット)」2010年9月16日