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    シルクロードとブックロード
    発信時間: 2009-11-24 | チャイナネット

    「一衣帯水」で喩えられる中國と日本

    日本山口県萩から見た日本海。「一衣帯水」ではあるが、古來難所でもあった

    「一衣帯水」とは「一筋の帯のように狹い川?海」を挾んだ親しい間柄という意味である。ところが歴史的に見れば一筋の帯と表現されたこの海は、遣唐使や鑑真和上の例を見れば分かる通り、なかなか一跨ぎで渡ることのできる海ではない。

    遣唐使は奈良?平安時代に計19回派遣されたが、生還できたのはほぼ半分である。鑑真和上は12年を費やして海を渡り、754年にやっと奈良にたどり著いた。その後鎌倉時代に元の軍が2度にわたって日本に襲來するが、2度とも海難と臺風で撃退されている。それほどこの海は難所であるということができる。しかし文化も人もこの海を無事に渡らなければ大陸との交流はできなかった。日本に伝來した文化は數多くの渡來人や留學僧らが決死の覚悟でこの海を渡って持ち込み、持ち帰ったものである。

    シルクロードとブックロード

    「ブックロード」とはじめて名づけたのは、農文協の『鑑真和上新伝 おん目の雫ぬぐはばや』の著者の王勇教授であるが、この「ブックロード?は交易の道ではなく文化の道であるとした。

    海も砂漠も道はないが、方向さえ間違えなければ自由に行き來できるいわば大道でもある。「シルクロード」ということばは19世紀末ドイツ人地理學者のリヒトホーフェン博士が使い始めたといわれている。これは中國の長安?洛陽とローマを結ぶ文字通りシルクを中心とした交易の道である。ロードといっても道ではなく、砂漠や山地を越えるやはり過酷なものであった。しかしシルクは當時の古代ギリシャや古代ローマにとってそれだけの価値のある交易品である。現在はこのシルクロードを西安からさらに下って、奈良の正倉院を終點と唱える人さえいる。しかし3世紀末には日本=倭はすでに「蠶を飼い、桑を植え、織物を紡ぐ」と『三國志』の「魏志倭人伝」に書かれている。絹の作り方を知っていたのである。

    中國の皇帝に會うために貢物を持っていかなくてはならない。その貢物に対して皇帝は數倍から數十倍の品を下賜する。どのような品が下賜されたかというと、當時世界に冠たる大帝國の皇帝であるから、當然貴重なもの、絹織物とか陶磁器などだった。朝貢する國々の狙いは実はこの下賜品で、時価數十倍にもなるものをもらうために命を賭してやってきたのである。

    當時の日本=倭の使節は「倭錦」を皇帝への獻上品としていた。「倭錦」とは絹織物である。またその後の奈良時代の遣唐使は、入唐するための渡航費用つまり路銀として全員にこのシルクなどの織物が渡されていた。本の購入だけではなく、寫経や仏畫の模寫を頼めばその謝禮もこのシルクや織物が貨幣代わりに使われた。

    シルクはヨーロッパでは古代ギリシャや古代ローマですでに重寶されていたが、絹は羊毛樹という木から産するという伝説が信じられ、その真実を知るのは6世紀半ば、実際に生産されるようになるのは7世紀に入ってからといわれる。アラブ?ヨーロッパの使節のお目當ては、初めから皇帝が下賜するシルクであるが、日本の遣唐使たちはそのシルクを中國國內で売りさばいて換金し、本を買った。

    シルクはいくら持ち込んでもそれ以上増えることはなく消費されるのみであるが、例えば本は1冊輸入されれば、書寫し復刻し印刷して限りなく増える。そればかりではなく知識として活用され応用され新たな文化を築くことさえできる。つまり本は交易品というより金の卵で、シルクより価値があると考えられていたのである。日本は本から文化を學ぶことができるという自信を深めていく。

    遣隋使や遣唐使の派遣の目的は初めから「本」であったという。

    日本にはどれほど將來本があったか

    倭國使 『梁職貢図巻』にみる倭國使(左)(農文協石川九楊著『漢字の文明 仮名の文化』)

    891年ごろに成立した藤原佐世の撰になる勅撰の『日本國見在書目録』にある漢籍は、16790巻。これは歴代天皇の書庫だった冷然院が火災にあった後、殘っている本を集めて作られた目録である。もちろん貸し出されていたものや、貴族や寺院の書庫にあった本も合わせて作られた目録だが、この冊數は中國の歴代王朝が國の威信をかけて時代時代に作る書籍目録の半分以上に達するという。火災で大半が焼けた後の數字ということは、焼ける前にはいったいどれほどあったのだろうか。

    漢字の國、書籍の殿堂であった帝國の本の半分以上あるいはほぼそれに匹敵する本を、中央から遠く離れたいわば東夷の國が保有しているなどということは驚きに値するが、それはとりもなおさず日本の國自體が本気でやらなければできないことであるし、さらに大陸の王朝の側面支援と許可がなければ無理である。

    中國と日本は、「一衣帯水」が距離的にも政治的にも微妙な位置関係を保っていた。たとえば中國では禁書となっていたものも入唐僧の將來本にしばしば混じっている。地理書や兵書、地図といったものは、當然陸続きの緊張関係にある國々に対しては禁書であっても、日本向けには一度も禁令を発していないという。

    実は、このことが後の時代に中國にとってもプラスとなってかえってくる。すでに中國には散逸して存しないが日本に保存されている本、すなわち「佚存書」の存在である。これこそ日中交流の成果といえるものである。しかしこのようなブックロードの存在を可能にしたのは、やはり日本が漢字文化圏にあり、日本列島の支配層と知識層がなに不自由なく漢字を操っていたからに他ならない。

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