周波(音訳)さんは、生まれた時から石油と縁があった。両親は中國東北地區(qū)の都市、大慶の國営石油企業(yè)に勤務(wù)していた。周さんは幼い頃、技師の父に従い探査に參加した。22歳の周さんは、大學(xué)で応用化學(xué)を?qū)煿イ筏皮い搿I親は故郷の石油業(yè)界に就職させようと考えていた。しかし中國國內(nèi)では現(xiàn)在、石油の生産量が減少している。大慶油田が枯渇の危機(jī)に直面し、両親は考えを変えた。周さんは「現(xiàn)地の油田は両親の世代の生計を支えたが、永遠(yuǎn)に続くわけではない。両親からは帰省し職探しをする必要はないと言われた」と話した。米NYタイムズが伝えた。
大慶はかつて中國最大の油田だったが、この都市の問題は中國が直面しているより広範(fàn)な現(xiàn)実を反映している。中國はかつて石油輸出大國だったが、今や世界最大の石油輸入國の一つになった。現(xiàn)地の油田は老朽化し、掘削のコストが高騰しており、海外から輸入する方が割安な場合が多い。しかも今や、拡大を続ける需要を満たすため、輸入が不可欠になっている。大慶のさまざまな面が、これらの変化の縮図となっている。
1959年に現(xiàn)地で油田が発見されると、中國全土が歓喜の渦になった。その後數(shù)十年に渡り、大慶の若者は前の世代に続き、石油業(yè)界で働くことが運命づけられた。彼らはよく、「油田の子」と呼ばれていた。ところが今や、原油価格はピーク時の半分にも屆かず、大慶の石油の繁栄も鳴りを潛めている。國內(nèi)の生産量の減少を補(bǔ)うため、中國はかつてないほど輸入量を拡大している。統(tǒng)計データによると、中國の今年上半期の原油輸入量は前年同期比14%増で、石油の対外依存度が64%に上昇した。
輸入は現(xiàn)在、民間製油所によって促されている。これらの製油所は昨年、原油輸入の割當(dāng)を手にした。これは政府による、國有エネルギー企業(yè)の市場寡占を打破する措置だ。これらのティーポット製油所の興隆により、世界の石油生産企業(yè)が利益を手にする可能性がある。中國に進(jìn)出する新たなルートになるからだ。この変化は、中國國內(nèi)で苦境にあえぐ國有石油企業(yè)に対して、より大きなプレッシャーを形成している。周さんの家族にとって、これは大慶油田に依存した生活が、維持できなくなったことを意味する。すぐにも、「油田の子」は過去と化すだろう。
?中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)? 2016年10月22日