日本の経済學(xué)者の葉芳和氏は1990年に初めて中國(guó)を訪問(wèn)した際、中國(guó)経済の発展に注目し、期待を寄せた。中國(guó)の狀況に比較的詳しい葉教授でも、初めて西蔵(チベット)を訪問(wèn)まで、この神秘的な土地に関してほとんど知識(shí)がなかった。昨年9月、葉教授はチベットを1週間近く見(jiàn)て回り、心の中にあった多くの誤解が解けた。訪問(wèn)中にチベットに強(qiáng)い好感を抱いた葉教授が、チベットの今後のより良い発展に向け自らの考えを語(yǔ)った。光明日?qǐng)?bào)が伝えた。
3カ月前に帝京平成大學(xué)を退職したが、今は大學(xué)に勤めていた時(shí)より忙しいという葉教授を、本紙の記者が今月15日午後に取材した。昨年初めてチベットを訪問(wèn)するまで、やはり現(xiàn)地の治安などを心配していたと正直に打ち明ける葉教授。在中國(guó)日本大使館に電話をかけ、チベットの安全を確認(rèn)してから青蔵鉄道に乗り込んだという。拉薩(ラサ)に到著後、それまでの不安は一気に吹き飛んだ。「ラサの街は和やかで活気に満ち、チベットの人々は絶えず笑顔で、太陽(yáng)の光ような、居心地がよく、親しい雰囲気だった。もともと中國(guó)の辺境にあるチベットだけに、かなり貧しく、日本海沿岸の辺鄙で小さな漁村の冬の寒々しいイメージを抱いていたが、実際には天気が晴れ晴れとしているだけでなく、経済発展の水準(zhǔn)も想像以上だった」と振り返る。
中國(guó)に何年も注目してきたが、自ら足を運(yùn)ぶことでチベットに対する理解が深まったという。葉教授はかつて、チベットが1951年に平和解放するまで濃度社會(huì)だったことすら知らなかった。中國(guó)共産黨が農(nóng)奴制を廃止したため、チベットの舊貴族はその利益を損なった。現(xiàn)在、外國(guó)人の多くがチベットの歴史をあまり理解していない。メディアの報(bào)道を鵜呑みにし、チベット問(wèn)題に対し偏見(jiàn)を持っている。
チベット訪問(wèn)中のある日の夕方、葉教授は巨大な建造物をかすかに目にした。聞くと、100年以上前に英國(guó)軍の侵入を防ぐために築かれた城壁だという。西洋人がなぜこんな遠(yuǎn)くまで、ヒマラヤを越えてチベットに侵入してきたのか?この城壁が、かつてのチベットの苦難、西側(cè)勢(shì)力のチベット蹂躙と干渉を物語(yǔ)っていた。
経済學(xué)者である葉教授は數(shù)字や統(tǒng)計(jì)を重視する。チベット平和解放から60年で、チベット族の人口増加率は中國(guó)の平均水準(zhǔn)を上回り、チベット地區(qū)の平均壽命は倍近くになった。これらの確かなデータがチベットの発展と変化を反映する証拠といえる。
短い訪問(wèn)ではあったが、印象深い訪問(wèn)となった。青稞酒(チベットの酒)は茅臺(tái)酒より香り高く、放し飼いの豚の肉は味がよく、加工すれば世界で有名なスペインのイベリアソーセージに勝るとも劣らないという。
豊かで深みのあるチベットの宗教?文化に各國(guó)の観光客は酔いしれるだろう。チベットの地域資源は非常に豊富であるため、今後、自治區(qū)內(nèi)の様々な資源を発掘し、観光業(yè)やそれに派生する記念品加工などの産業(yè)をさらに発展していくことができる。そうすれば、チベットは中央政府や沿海地域の支援を必要とせずに持続的な発展を?qū)g現(xiàn)できると葉教授は指摘する。
?中國(guó)網(wǎng)日本語(yǔ)版(チャイナネット)? 2011年7月20日