『カー日記』がこのほど出版された。1944年に米軍パイロットのカー氏が負(fù)傷してパラシュート降下した後、中國共産黨の指導(dǎo)する東江縦隊(duì)遊撃隊(duì)員に救出された経験を記録している。カー氏のようなケースは他にも多くあり、抗日戦爭期間に中國の軍民は後の米國大統(tǒng)領(lǐng)ジミー?カーター氏を含む連合軍のパイロットや捕虜を數(shù)多く救出した。
第2次大戦で中國は世界と肩を並べて戦った。遠(yuǎn)征軍をビルマに派遣し、華僑?華人が在住國でゲリラ部隊(duì)を組織するなど、中華民族は血みどろで闘い、世界から認(rèn)められ、尊敬された。
■中國?インド?ビルマの戦場で奮戦
「中國の戦場は日本の北進(jìn)と南進(jìn)を制約し、戦略面で連合軍の作戦と歩調(diào)を合わせると共に、連合軍をしっかりと支援した」と、中國人民抗日戦爭記念館の沈強(qiáng)館長は指摘する。
1942年、ビルマの極めて危険な狀況を前に、中國は自國の戦爭も緊迫する中で少しも躊躇せずに自発的に中國?インド?ビルマ戦場の対日作戦を支援し、國際的な尊敬を勝ち取った。ビルマ?イェナンジャウン作戦で、中國遠(yuǎn)征軍の第38師団は少數(shù)で多くの勝利を挙げ、窮地に瀕した英ビルマ軍第1師団を救い出して英國を沸き立たせた。第200師団の戴安瀾師団長は何度も大きな功績を挙げ、友軍の撤退を援護(hù)したが、自身は作戦で不幸にも國に殉じた。
遠(yuǎn)征軍のビルマ派遣を地上での肩を並べた作戦とするなら、フライング?タイガーズの活動(dòng)は大空での中米軍人の血みどろの戦いだった。湖南シ江フライング?タイガーズ記念館への取材によると、隊(duì)員6000人余りのうち中國人(華僑?華人を含む)が半分近くを占めた。彼らはクレア?リー?シェンノート率いる米國の義勇軍と共に輝かしい戦果を次々に挙げた。