日本はドイツを鑑とせよ
趙氏は、「他國(guó)が歴史問(wèn)題について言及した際に、一部の日本人は、日本の國(guó)際社會(huì)に対する多大な貢獻(xiàn)が認(rèn)められておらず、歴史問(wèn)題ばかりに觸れようとすると考える。ここでは、ドイツと比較してみよう。日本は國(guó)際社會(huì)に貢獻(xiàn)していると主張するが、これは國(guó)連の財(cái)政に対する貢獻(xiàn)を指す場(chǎng)合が多い。日本は最多でその経費(fèi)の20%弱を提供したことがある。ドイツの國(guó)連の財(cái)政に対する貢獻(xiàn)は日本に次ぐ水準(zhǔn)だが、ドイツがこれを理由に歴史問(wèn)題を回避したことはない」と述べた。
趙氏は、「國(guó)の貢獻(xiàn)が大きければ、歴史問(wèn)題を消し去ることができるわけではない。貢獻(xiàn)は貢獻(xiàn)であり、歴史問(wèn)題は歴史問(wèn)題であり、両者は切り離すべきだ。ドイツははっきりと切り離し、両者を結(jié)びつけていない。ドイツの首相は訪(fǎng)日中の記者會(huì)見(jiàn)で、歴史問(wèn)題について何度も觸れたが、安倍首相はこれを回避した。日本が恨み事を言う時(shí)に、ドイツがどのようにしたかを見(jiàn)れば、是非の問(wèn)題がはっきりするだろう」と指摘した。
「中國(guó)網(wǎng)日本語(yǔ)版(チャイナネット)」2015年7月29日