太平洋戦爭(zhēng)勃発により、中國(guó)と米英など反ファシズム國(guó)との関係はより緊密なものとなり、長(zhǎng)期にわたって単獨(dú)で抗日戦爭(zhēng)を続けた不利な局面が打開(kāi)された。中國(guó)の戦場(chǎng)が重要な意義を持っているとみなされたことから、1941年12月末から1942年1月まで行われた英米両國(guó)によるワシントンでのアルカディア會(huì)議では、対日戦線を調(diào)整し、中國(guó)戦區(qū)を設(shè)けることが決定された。中國(guó)戦區(qū)統(tǒng)帥は、中國(guó)?タイ?ベトナムなどの地區(qū)の連合國(guó)軍の指揮を擔(dān)當(dāng)することとなった。これは、中國(guó)の抗日戦爭(zhēng)と米國(guó)の極東戦略を結(jié)びつけ、中國(guó)の戦場(chǎng)と太平洋の戦場(chǎng)との関係を緊密化した。中國(guó)の戦場(chǎng)はまぎれもない東洋の主戦場(chǎng)となったのである。
1942年1月1日、中國(guó)?米國(guó)?英國(guó)?ソ連の4カ國(guó)の呼びかけで、「連合國(guó)共同宣言」が26カ國(guó)によってワシントンで締結(jié)された。加盟諸國(guó)は、兵力と資源とを総動(dòng)員し、共同の敵に打撃を加え、いかなる敵とも単獨(dú)で講和を結(jié)ばないことが求められた。國(guó)際反ファシズム統(tǒng)一戦線が正式に形成されたことを示すできごとであった。中國(guó)はこの宣言に真っ先に署名し、國(guó)際反ファシズム統(tǒng)一戦線の形成に大きく貢獻(xiàn)した。1943年11月18日、中米英3カ國(guó)の首脳會(huì)議がカイロで開(kāi)かれ、12月3日に「カイロ宣言」が示され、日本は無(wú)條件降伏をすべきであるなどとする國(guó)際原則が定められた。米國(guó)のルーズベルト大統(tǒng)領(lǐng)は「爐辺談話」において、「英國(guó)、ロシア、中國(guó)、合衆(zhòng)國(guó)とその同盟國(guó)は、全世界の4分の3以上の人口を代表している。この4つの軍事大國(guó)が団結(jié)一致し、平和維持を決意すれば、世界大戦を再び発動(dòng)する侵略國(guó)が出現(xiàn)する可能性はない」と指摘している。
第2次大戦終結(jié)前後と國(guó)際連合の設(shè)立の過(guò)程において、中國(guó)は事実上、世界の強(qiáng)國(guó)4カ國(guó)の一つとして重要な影響を発揮した。中國(guó)が提出した平和の道義と法制の原則は、世界各國(guó)に受け入れられた。中國(guó)は、朝鮮半島が植民地支配を脫することを斷固として支持し、同盟軍の戦後審理に參加し、琉球諸島の國(guó)連委託管理を支援するなど、戦後の東アジアと世界の平和的秩序の回復(fù)と発展に不可欠な役割を果たし、その影響力は高まっていった。
「中國(guó)網(wǎng)日本語(yǔ)版(チャイナネット)」 2015年8月20日